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主治医が替わったとき

30年前、中学の同級生だった人に、にばったり入院病棟で会いました。同じ時に、同じ病院の、同じ階同じ血液科の患者だったのです。
そんな偶然があるのでしょうか!
Mちゃんは赤血球の病気、私は血小板の病気でした。

それ以来「病院友達」としても、とても仲良くしてきました。
Mちゃんも私もしばらく病状はおちついていました。
診察日にはどうだったかを、いつも電話で話してました。

15年ほど経った頃でしょうか。Mちゃんは悪性リンパ腫になってしまいました。
悪性リンパ腫は色々なところにできるのです。
首のあたり、腕など外からわかるところにも、肝臓、肺などにもできました。
数えきれないほど入退院を繰り返しましたので、入院する度に、部屋に行って何時間も話しました。

時には、体調がよくて、まるでティールームでお茶しているかのようにおしゃべりを楽しむこともありました。
窓からここちよい風が入り、カーテンがゆれて、「特別においしいのを頂いたから」とMちゃんが切り分けてくれたケーキを食べた日のこと時々なつかしく思い出します。

ご主人は重症性筋無力症という難病で亡くなり、お嬢さんはフルタイムの仕事があり小学生の子供がいる、息子さんは遠くに住んでいて休めない仕事があることから、主治医との難しいお話には私が付き添って一緒に聞きました。

その友達の主治医が替わった時のことです。
「新しい先生、苦手だわ〜 どうも話しにくいのよ」
「抗がん剤を勧められるんだけど、私はうけたくないの、一緒に行ってくれない?」
主治医が替わってしまうということは、患者には一大事です。

長いこと主治医だった先生は、血液部長でいらしたので、私も入院中に何度かお会いしていました。医学的知識などはもちろんのこと、温厚な、とてもやさしい紳士で、ご自身が結核で何年も入院していらしたこともあり本当にすばらしい方でした。

もう骨髄移植しか手がないのに、せっかく型のあうお兄さんは協力してくれませんでした。
でも、本当に幸せなことに、分子標的薬リツキサンがそれからの彼女を何年も生かせてくれました。

主治医の先生が定年で辞めてしまわれました。次の主治医は遠くから移って来られた若手の先生で、かなり強引な方でした。
「リツキサンがあまり効かなくなったようなので、新しい抗がん剤をつかいたい」と、新しい主治医の先生が何度もおっしゃったそうです。

とても信頼し、すっかり馴染んでいた大好きな主治医が辞められて、違う主治医になった時は、新しいお母さんがきたようなもので、どんなに良い先生でも違和感はあるのだと思います。
時には新しい主治医の方がよかったということもあるのでしょうけど。

その時のMちゃんは、自宅にいて、かなり痩せて体力はなくなっていたけれど、どうにか台所にたつことができ、近くの散歩に行ける程度でした。
「もう強い抗がん剤をうけたくない」と言い続けていました。

Y医師との話
私はきちんとご挨拶をしたし、Mちゃんも紹介してくれたのですが、先生は、ただMちゃんの方だけをむき、私の存在を完全に無視していました。
私は透明人間????
医者と患者というのではなくても、3人で話す場合、人間としてそういうのはどうなんでしょう?
三角形なのに、一辺しかないようなものなのです。
1時間位もそうだったのです。

透明人間の私は、無視されつつも、たまに、言葉をはさんだり質問したりしましたが、先生がむく方向はかわりませんでした。

先生の中から、こんな気持ちがメラメラしているようでした。
「家族でもないあなたがなぜここにいる?」
「医者でもないのに口出しをしないでもらいたい」

先生は「抗がん剤をしたい」と言い、友達は「したくない」と何度も言い、なかなかラチがあきませんでした。

たまりかねて私が
「今、体重は35キロしかなく、本当に体力がないようです。
抗がん剤で急に体力おちないでしょうか?」
先生
「そんなことは想定内です。もちろんごく少量からはじめて
様子見て副作用が強いようならやめるから大丈夫です」
(余計なこというな、おまえは邪魔だ)メラメラ

先生は、もう「抗がん剤をはじめる」と決めていたようでした。結局、私たち二人はおしきられてしまいました。
「このままでは希望がもてない、でも新しい抗がん剤が効くかもしれない」と言われて、断れる人がいるでしょうか?

そして本当に悲しいことに、私の心配したことはあたってしまいました。
抗がん剤で急激に弱ってしまって、抗がん剤をやめても、輸血をしても、何をしても悪くなるばかりでした。

彼女が決めていた緩和センターに移る体力もなく、肺にできた悪性リンパ腫のため「息が苦しい」といい続けて亡くなりました。とても苦しそうでした。
「この息苦しさはなんとかならないのでしょうか?」とお聞きしても「息苦しさは、しかたがないんです」と言われました。
「モルヒネがあるのに」と今は思います。

自分の新しい主治医が好きになれない場合、どうしたらいいのでしょうか。
長い間、通ってきた病院を替えるというのはとても難しいです。
そのうち慣れてきて、「この先生、案外好き」ということになることもあります。
好きになれなくて、どうしてもあわないと思う場合、どうしたらいいのでしょうね?

透明人間のようになったあの日のこと、よく思い出します。
ひびの入ったグラスのようなMちゃんの身体、そのままで
まだしばらく大丈夫だったような気がしてならないのです。
抗がん剤をしてもしなくても同じだったのかもしれないけれど。

心から信頼していた元主治医だったら、快く抗がん剤に応じたかもれないし、「どうしてもうけたくない」と言えたのかもしれません。

大好きだったMちゃんに会いたいです。


コメント

No title

辛くて悲しい思い出ですね。
若い先生は患者さんとの経験値が浅いから仕方がない、で済まされるのでしょうか?その時にあたった患者が自分だったら、と思うと。転院を決意する気力と体力が残っていれば良しですが、その選択もできない状態だと・・・

その若かった先生は今はどんなドクターになっておられるんでしょうか?気になります。

No title

がみさん
こんばんは
今日のがみさんはどんな具合でしょうか?
調子がいいといいなあ。

私が書いたドクターは、臍帯血移植という専門特技のため
九州の病院から是非といわれて移ってきた先生です。
大変な力を持ち、今までの東大系列のドクターを全員辞め
させてそれまで自分のいた病院のドクターたちを呼び集め
一大勢力を持たれました。
臍帯血移植では日本一だそうです。

病院は政治家より派閥がものをいう世界なんだそうです。
今でも、ものすごい権力をお持ちで、傲慢さは直っていないと
思うけど???

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